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栃木県でサラリーマンとして働きながら音楽活動をし上京。テレビ朝日のMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」で世間の注目を集め、従来のラッパーの姿とは程遠いスーツ姿にメガネというスタイルで、ステージに上がればそのスキルとパフォーマンスで多くの観客を魅了。独自のラップスタイルを築いたDOTAMA。自らの音楽についてはネットや雑誌などで過去に多く語ってきたが、この自伝ではDOTAMAが今まで語らなかった「今の自分、今のスタイルを築きあげたものは何か」について初めて語る。幼少時代。学生時代。サラリーマン時代。そして2006年の弟の死。なぜラップをし続けるのか?メガネとスーツというアイデンティティの源泉とは?そしてなぜディスり続けるのか。新しい日本のヒップホップ界を牽引し始めているDOTAMAが紡ぎ出す、言葉の裏側にある哲学をすべてさらけ出した、初の自伝。
もくじ
イントロダクション 栃木のラッパー
第1章 MCバトルという場所
UMB2017/UMBという場所/2017年のDOTAMA/東京予選当日/自分のスタイル/狂気/完成された1つのスタイル
第2章 怒りの原点
福島家/教師一家というプレッシャー/母のこと/2人の弟/ラップとの出会い/年号ラップ/3000円のマイク/ドリルヘッド/MCバトルと巡り合ってしまった日
第3章 出会いと別れ
音楽か就職か?/職場のレジェンド3人/目標のない自分/人前での初めてのライブ/初めてのソロ音源/初めてのイベント主催/北関東スキルズ/DOTAMA & OLD MACHINE/確執と脱退/弟との別れ/術ノ穴/音楽ワルキューレ/仕事に集中していた期間/震災
第4章 上京
退職/リストラクション/上京を後押しした映画/両親が上京を知った時/絶望/13番目の月/初の映画撮影/ボロボロだった正月/父親の涙/ニューアルバム
第5章 葛藤
フリースタイルダンジョン/MCバトルとは何か?/強いラッパーとは?/セルアウトについて/詩を紡ぐということ/自分のスタイル/数の論理になっている音楽の評価/コンテンツにお金を払うこと/バトル好きとヒップホップ好きは相入れないのか?
第6章 UMB GRAND CHAMPIONSHIP2017
最悪の体調/番狂わせの決勝/1位の意味/MCバトルの弊害/MCバトル原理主義への疑問/これからの音楽活動について
あとがき
完成された1つのスタイル
2017年の東京予選の自分のスタイル。
それは2011年から新しいスタイルを模索し始め、フリースタイルダンジョンを経て、2011年の自分「DOTAMA」のスタイルに戻したものだった。模索する過程で、2014年から16年は自分のスタイルを無理矢理「押韻タイプ」にした。
成立はさせていたが、本来の「DOTAMA」スタイルを期待するお客さんにはぎこちなさを感じさせ、物足りなさがあったと思う。
だが、その「押韻」タイプとしての生活を繰り返すことで、デフォルトで韻を踏むことができるようになった。
中二病なたとえかもしれないが、漫画『ドラゴンボール』のセル編で、孫悟飯が父・悟空にスーパーサイヤ人の状態を保ったまま生活することを命じられる場面がある。そして日常的に、スーパーサイヤ人の強さを出せるようになるエピソードがある。まさに自分がそれだったと、今振り返ると思う。
「押韻」、「フロウ」、「パンチライン」。2011年から様々なスタイルを実践した。失敗を繰り返しながら、今までの自分とは違う戦い方をするため、テクニックやスキルを身につけた。そして日常的に使えるようになった。
その状態で、本来の自分「DOTAMA」スタイルに戻すという進化を経たからこそ、東京予選を優勝することができたのかもしれない。
さらに2011年から気にしていた「線引き」。自分のヒップホップに対する「狂気」を、どうお客さんに理解してもらえるかも、ほとんど気にしなくなっていた。
それは様々な仕事をこなしたことによる、自負からの気持ちだった。特に2017年のUMB東京予選の前後は、1日7時間の舞台稽古。稽古の後ほぼ毎日、スタジオで楽曲制作。そして2時間の舞台をこなしていた。
手前味噌だが、「この1年、今回UMBに出場しているどのMCよりも、自分は過酷な活動をしてきたはずだ」と思えるようになった。たとえスベっても、その時はその時で立て直すと「達観」していた。
もちろん、試合中はそんな紆余曲折を言葉にしようとは一切思わなかった。純粋な「完全即興」のみでの勝負で、なんとか優勝できたと思う。
ただやはり、自分の音楽活動のエネルギーである「怒り」は試合中、全開に溢れていた。黄猿君との決勝戦は、特にそうだったと思っている。
2017年のUMB東京予選。それは自分が長年抱き続け、音楽活動のエネルギーの1つである「怒り」が大きな塊となって現れた大会だった。
あとがき
この自伝のお話をもらったのは2017年秋。レーベルから「出そう」と提案してもらったのがきっかけだ。正直、そこまで自伝を書きたいわけではなかった。自分ごときが半生や価値観を語って本にしていいものかと不安だった。
しかしいざ書き出してみると、自分の音楽のルーツ、MCバトルについての哲学を改めて理解することができて、楽曲制作に関する新たなアイディアが沢山湧いた。この機会を与えてくれた術ノ穴には心から感謝をしている。
この自伝の執筆はサードアルバムの制作期間とダダ被りし難航を極めた。自分はミュージシャンではあるが作家ではない。徹夜して書いたもののほぼ全て書き直した章もある。右も左も分からない自分を耐えて待った書籍編集の設楽幸生氏には心から感謝をしている。有り難うございました。
振り返って楽しい過去もあれば苦しい過去もあり、両方とも分け隔てなく平等に書いた。「バトルMCのDOTAMA」として見られることにジレンマを感じているにもかかわらず、最初と最後にUMB2017の体験を書いたのはこの執筆とほぼリアルタイムだったことが大きい。
MCバトルは大好きだ。だがそれが世間の人々や音楽シーン、そして自分の人生を狂わせているのも事実だ。MCバトルは麻薬である。プレイヤーにとってもオーディエンスにとっても。これを読むラッパーを目指している若い子や、MCバトルで自分を知ってくれたリスナーの方が希望を持てる内容にしたかったが、自分の本心をありのままに書いた。
平凡で書くことがないと思っていた自分の人生も、書き出すと後から後から湧いてきた。弟の死は最後まで迷っていたが書こうと決めた。10年間公表しなかったがこの機会に振り返ってみようと思った。
そしてこの本のテーマであり、自分の人生の大きな要素でもある「怒り」。怒りを音楽のモチベーションにするといえば聞こえは良いが、人生の分岐点で現実を受け入れられなかった男のただの言い訳かもしれない。それでも自分は「怒り」を歌に変えてきた。「怒り」に支えられ生きてきた。この本を読んで、自分を嫌いになるファンがいるかもしれない。逆に好きになるヘイターがいるかもしれない。それは皆さんに任せる。
書き上がってからの自分の考え方の偏りには唖然とした。それでも、こんな歪な自分の人生を支えてくれた家族、友人、職場の上司、同僚、音楽仲間、レーベルには心から感謝をしたい。
両親は仲良く生活しながらたまに自分のライブに来てくれる。ダフこと兵藤幸斗は子宝に恵まれ今も栃木で音楽活動をしている。そしてFragmentの久嶋位征と出井尚太郎の両氏。2人がいなければ自分は音楽を続けられてはいなかった。本当に有り難うございます。
そしてこの自分の稚拙な独白に付き合っていただいた、本書を手に取った皆様。誠に有り難うございました。次は楽曲かライブ会場でお会いできることを心から願って。
栃木のラッパー、DOTAMAより。
2018年4月 DOTAMA(福島数馬)
あれはある日のMCバトル、当時は今のスポーツ化したバトルではなくガチンコだった。現場で「俺はMC漢を倒す為に栃木から来たんだ」とRAPする奴がいた。頭にきた俺は邪魔な客の頭を押しのけ、どんな奴か確かめると、そいつは所謂B-BOYでも不良でもないクソパンピーだった。後にこのクソパンピーが不良の音楽とされたHIPHOPが決してストリートだけの音楽ではないと教えてくれた…
漢 a.k.a. GAMI
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